初代川柳句碑   「木枯」の句碑 (3建目)

 私ども川柳家にとって「木枯こがらしの句碑」は、柳祖への思慕の念を映してきました。
 五世川柳によって龍宝寺境内に建立された最初の句碑は、大正12年9月1日の関東大震災で焼失しました。建立後、80年ほど後のことです。
 これを惜しんだ川柳界は、全国に浄財を求め昭和12年に再建を果します。龍宝寺にある初代川柳の墓所と句碑は、川柳家の心の拠り所だからです。しかし、悪魔の手は伸び昭和20年3月10日の東京大空襲で、再び焼失の憂き目を味わいます。
 現在見られる句碑は、昭和30年に三建されたものですが、壊されても壊されても復活する句碑は、庶民文化としての川柳の底力なのかもしれません。

大きさ 高さ: 1.75m
最大幅:  1.14m
厚さ:  0.26m
台座: 0.40m

石 材:  根府川石  

正 面          谷中 高 正芳

木枯や跡で芽をふけ川柳 

  右租翁柄井川柳之遺詠
       後学川柳久良伎謹書

   

左 面   (彫刻なし)
右 面   (彫刻なし)
背 面 昭和三十年九月二十三日建立

初代川柳句碑再建委員会

建 立

昭和30(1955)年9月23日
東京・きやり吟社肝いり

備 考

昭和45年5月1日、台東区・旧跡。

所在地

東京都台東区蔵前4-36    龍宝寺境内