ほろほろ忌実行委員会

ほろほろ忌

 



写真:ほろほろ忌の主催者・宮野誠氏(右端)と同忌句会に参集した右から原島幻道、十四世・脇屋川柳、市川道雄の各氏と句会会場の東光院本堂。

 2002年8月3日、久良伎、剣花坊に次ぐ新川柳の巨匠 高木角恋坊 たかぎ かくれんぼう 顕彰の句会が催された。
 角恋坊は、明治後期から昭和の初期にかけて活躍した川柳家で、大正9年草詩堂を結成、新川柳に新たな気風を拓いた。
 ほろほろ忌は、角恋坊が最後に誌上発表した句
   いずれ散る花なり芥子のほろほろと 
                       (昭和12)
 が辞世とみなされて、この句からとられた名称。その後、死の床で吐いた
   面白や草葉の陰にかくれん坊 (昭和12)
 という辞世があることが発見された。
 いずれも、ほろほろ忌会場となっている東光院の境内に句碑となっている。
 ほろほろ忌は、昭和58年の47回忌以来毎年行われ、2002年には20回を数えた。
 川柳人ばかりでなく俳人も多く参集し、夏の一日作句三昧をして角恋坊を偲んだ。


 

角恋坊

草詩

句会

句碑

墓碑

東光院