柄井家墓所 

1999年の川柳墓所

昭和3年3月、都の史跡に指定され、1998年、二百年忌の記念事業に際して雨よけ屋根が施された。

左側が初代・3世の墓。中央、初代川柳一百年祭記念標。
右側は、2世川柳の墓と伝えられる。詳細配置

大正期の写真―戦災等による破壊、風化前の様子。

初代・3世墓碑銘

 [正面]
契壽院川柳勇縁信士 寛政ニ庚戌九月廿三日
微妙院浄心法性信女 天明六丙午二月十七日
但受院浄刹快楽信士 文政十丁亥六月 二日
無量院長遠妙壽信女

 [裏面]
教学院雪山源理信士 天保十四癸卯 十月十九日 

2世川柳墓碑銘

 [正面]
円鏡院智月寂照信女(士) 文政元戊寅十月十七日
心鏡院常照妙光信女    文政七甲申四月七日
 [裏面]
妙縁童女          文政八乙酉九月十九日

 今日は、表面の風化剥離により確認できない。戦災前に実際に目にした者の証言では、並んだ戒名はいずれも信女であったという。