4世川柳末広碑
東都俳風狂句元祖
(彫り文字なし)
総評末広会/・・・・・・(風化激しく読みがたし)
文政9年8月28日
四世川柳は、それまでの前句附に「俳風狂句」の名称を与え、その元祖を標榜してこの碑を建立した。柳多留97〜100篇にその時の末広会の記録がある。一時期、この碑が初代川柳を顕彰したものと思われていたが、四世の意図は自らが元祖たるパフォーマンスのひとつであった。 第二次大戦時、空襲の際に機銃掃射を受けた傷が残り、さらに今日では、風化のために内部に剥離が観察され、将来、表面が落ちてしまう可能性がある。近い将来に保護の大作が必要であろう。 2011年3月11日の東日本大震災では、背後の石塀が崩れたが幸い、句碑本体は無事であった。
所在地:東京都墨田区 木母寺境内