六世川柳

『柳多留』121篇・四代目川柳

<活動>安政5(1858)年嗣号―明治15(1882)年6月15日
    誹風柳多留34−70篇

<号> 
醒斎(なまぐさい)/ごまめ/和風亭川柳

 本名、水谷金蔵のち謹。文化11(1814)年江戸・佃島生れ。
 5世川柳の長子。佃島の魚問屋を継ぐ。
 安政5年、父・5世川柳の死により、6世を嗣号。明治を迎えて最初の宗家で、柳風狂句を組織して「柳風会」を創設。
 明治14年、佃島島政の功で有栖川一品親王から次の国歌を下賜される。  川風の吹く方よりに@けども 乱れざりけり青柳の糸

 これに対し、次の句で奉答した。
   
吹下す風にひれ伏す糸柳
 名望があり、渡し舟の船頭は、6世を訪ねる客からは渡船料を取らなかったという。
 明治15(1882)年6月15日没する。
 法名:安楽院釈祐正信士。築地の西本願寺別院に葬られる。

<記念碑>
  句碑:つまらぬといふはちいさな智恵袋」 向島・三囲神社

 代表句

 「川柳祭祀狂句合せ」より