初代川柳の妻女。
「めやなぎ」として『誹風柳多留』に現れるが、その実態についてはほとんど不明です。
逸話として、「新編歌俳百人選」(1894)に
天人は小田原町を覗いて居
の句意が判らず川柳が困っていたところ、日頃より浅草寺の信心に厚かった女柳が、この謎句を解いて助けたということが記されている。
誹風柳多留21篇に女柳追善句合(天明6年3月27日開キ)は、女柳の川柳風内での存在の大きさを示していると思われる。
単なる名主の細君ではなく、川柳点の活動におおきく係りをもっていたのではないかと想像される。
<めやなぎ>は<かわやなぎ>の配偶者の意味と思われ、定まった俳号とは考えられず、作品も残されてはいないようだ。
天明6年2月17日没。微妙院浄信法性信女。 |