窪田而笑子

くぼた じしょうし

        本 名:窪田 幸太郎
 号 :春昭園而笑(蕉門宗匠)/而笑子

生没年:慶応2年3月15日、東京小石川生まれ。
      昭和3年10月27日没。

解 説:読売新聞・新川柳2代選者。
      読売川柳研究会、《滑稽文学》二代主宰。。
      横浜電信局技師。
      明治35年ごろ、柳多留に興味を持って、当時封建的であった俳壇に
       反発して川柳に転向した。
      明治37年、投書家を経て読売新聞入社。
      明治40年3月から朴念人のあとを継いで川柳選者となる。同派川柳      の全国普及に尽瘁、多くの支部を設ける。
      読売川柳研究会は、久良岐社、柳樽寺と並んで明治川柳界を3分。
       句風は写生を主とし平明を好んで「読売派」と呼ばれた。
      《媛柳》ほか数誌を主宰。門系は雅号の末尾に「子」を用いた。
      松山市は明治40年の《海南新聞》投句者による海南川柳研究会以
      来の一門で、遺句集『川柳一糸集』も同地から刊行された。

主な門下:門外漢、樽拾、柳影子、出鱈目、素骨、笑倒子、望洋子、
     紫弦、去風、天涯子、葉舟、亭々子、半風子、蔦雄、五葉、
     紫痴郎、荷十… 
など

主著作:
『末摘花』明治43年、滑稽文学社
        遺句集『川柳一糸集』前田伍健編

代表句:
初夢の笑ひ屏風へたゝみこみ  
(明治38『新川柳抄』)
    天にまします神様はをかしがり 
(同)
    手ぶくろを口にくはへて銭を出し
(同)
    春の灯を前に髪結ふ女あり   
(明治43『新川柳六千句』)

句 碑: