昭和期の川柳 |
昭和前期は、明治復興以来の隆盛期を迎え、東西の川柳界を代表する六大家を中心に、初めての全国組織「日本川柳協会」も誕生しましたが
折からの第二次大戦に際会して、焼土の中に判断停止の一時期を余儀な
くされます。
終戦後、廃墟から立ち直った川柳は、津々浦々に新旧結社が発足、川柳人口の増加ととともに、句風や句体も多様化、特に女性作家のいちじるしい進出で、情感や思念への内面的深まりを見せます。
意表の取り合わせで、川柳独特の「見立て」(比喩)を代表する句。 当時の飛行機は複葉の他愛ないものだが、それを先取りしたウイット。
わずかばかりをマス買いしたその日の米を、風呂敷に隠して持ち帰る 都会住まいの貧しい生活。昭和七年ごろの暗い時代を背景にしている。
終戦直後の廃墟と絶望の時代。日本そのものがハダカになってしまっ たいま、なまじ理性のある一人の人間に、いったい何ができるだろう。
すべての価値を根こそぎ転倒させた敗戦。アメリカの国旗しか立って いなかった日本で、自分の存在を誇示できる影などは誰にもなかった。
「あいつ、死んだんだってね」「へえー」― それだけ。これを非情というなかれ。「人様」は「死」をもってしても、日常と変わりないのだ。
秘蔵していた丹精の鉢に目をつけた植木ドロに歯がみをしながらも、 それほどの眼力がある見えない敵にエールを送りたくなる奇妙な心理。
想像するさえタブーであるようなことを敢てコトバにして、赤ん坊といえば可愛いを合唱する偽善の仮面を引き剥がすブラック・ユーモア。
あかんを口癖にしながら結構しぶとく生きる人はいるが、同じ「あかん」でも、院長がドイツ語で書いたら、それは本当に「あかん」のだ。
童謡が巧みに取り込まれて、通勤サラリーマン族の哀歓が漂う。定期券は、しょせん頂上へ着くことのないカメたちのステータスシンボル。
伸びるばかりの平均寿命とにらめっこしながらでは、遺書のタイミングも難しい。といって、無期延期ともいかない。シニカルな目が働く。 |