近代百年に惟う

歴史の意義を噛み締め自己の文芸に誇りを!

 

                           尾藤 三柳

 阪井久良岐が、新聞《日本》紙上に、初めて川柳欄らしきものを開設して、時事的な自句を掲載したのが、明治35年(1902) 3月1日、この日を新川柳の濫觴とみると、2002年の3月1日は、ちょうど100年目の記念すべき日に当たる。
 タブロイド版の最下段に予告もなしに登場した、一段もののささやかな欄に過ぎなかったとはいえ、これが現代につながる新川柳の第一声であったことは、大きな意義を持っている。
 ところが、俳句界が子規の俳句改革百年を記念したとき、川柳界にも間もなく明治中興百年が迫っていることを予告し、これを記念行事化してはと提案したが、何の反響もなかったし、現にその年を迎えても、我関せずといった無関心ぶりである。
 川柳の近代百年を振り返り、その意義を噛み締めるには願ってもない大きな節目と考えるのだが、そんな歴史的なことは頭をかすめもしないし、かすめもしないから何の発想も浮かばないらしい。川柳界そのものが由来こうしたことに無関心な体質に慣らされてしまっているのは残念である。
 日本川柳ペンクラブが小規模ながら「近代川柳百年を記念する会」を開催する運びになったが、これが唯一の行事とは寂しい。
 句会という閉鎖的な世界に埋没して、その日暮らしに時間を食いつぶすだけで、自己の文芸に誇りがもてないコンプレックスの証明でもあろう。このマイナー意識も、明治の新川柳以来えんえんと引きずってきたものであり、これを打ち破らない限り、川柳は永遠に日蔭の文芸に甘んじることになるだろう。親睦という仲良しごっこだけなら、統合団体などは必要としない。