ご存知、3月3日は、五節句のひとつ雛祭り。
古くは〈雛あそび〉とも呼ばれ、雛人形を飾って楽しむ女の祭り。江戸時代には、すでに今日のような雛壇を飾る風習もできていた。
女の祭りに無粋な旦那が居たのでは、遠慮もあり存分に楽しむこともできやしない。「どこぞへ行ってらっしゃい」と追い出しにかかる。前句は、「楽しみな事く」であり、女だけの気安い会話が聞こえてきそうであるが、追い出される方の旦那にとっては、いかにも乱暴な物言いである。
雛祭を楽しむのは、3月3日の当日に限らず、雛壇を飾る作業自体も心浮くもの。
樟脳ハ今日九重に匂ふなり 川傍柳五‐20
大切に仕舞われていた内裏雛を箱から取り出すと、樟脳の香りがするのは今も昔も同じ風景。
小笠原流で備える雛の餅 樽九三‐4
となると、いかにも格式高いお家柄なのだろう。菱餅の備え方にまで流儀があったとはビックリである。
雛祭を楽しんでいる時、せっかく飾った雛の曲がりや位置の不正に気づいてしまうと、ほっておくのも気に障る。
振袖をおさへて雛を直す也 樽一〇‐11
振袖のたもとを片手で抑えて、雛人形を直す仕種はそのまま絵になりそうである。おっとりとした動作が見えてくる。
雛の客は、女子供ばかりである。
かしましく階下に並ぶ雛の客 拾遺一-10
であり、新川柳でも、
雛の客おべんちゃらまでママ写し
小林剣一楼 (川柳研究)
となる。また、
雛まつり去年の今日の匂ひでゐ 前田雀郎
のように、雛祭を題材としているが、剣一楼作品が江戸川柳の伝統的客観に対し、雀郎作品では、去年の自分と今日の自分を対比させ、雛祭を通じて時の経過の感慨という内面を主観的視点で描き出している。
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