三社祭は、正和元年(1312)に言い伝えに基づいて行われた「舟祭」がその起源。
一之宮、二之宮、三之宮がある三社権現(浅草神社)は、浅草の総鎮守とされ、祭りは「観音祭」とも呼ばれ、三月十七日、十八日の両日に行われていた。
江戸随一の荒祭りとして浅草人の血を湧かせ、その賑わいは江戸三大祭りの一つにも数えられている。
今もつて網へ手を出す御縁日 樽三六‐2
今日では謎句のようであるが、大きな賽銭箱の左右に網を張って、投げた賽銭がこぼれないようにしたもの。
また、三社様の紋章は、その由来となった三人の漁師であり、丸の中に網を三つ重ねたもの。
三人にすくわれ万民をすくふ 丸水 寛政元袖2
という句が、浅草観音を救い上げた3人の漁師を読んだもの。
「三人」と「万民」の対比や「網へ手を出す」という表現が、いかにも川柳らしい言い回しである。
びんざさら気のない様な舞をする 明和三宮3
も三社祭の句で、ゆったりとした田楽踊りの名残を留めるびんざさら舞は、江戸っ子にとって気のないように見えたことだろう。
明治の神仏分離後、「観音祭」は「浅草寺」の法要としての「示現会」と「浅草神社」の祭としての「三社祭」とに分かれ、それぞれ「示現会」は3月18日に、「三社祭」は5月17日、18日(最近は、この日に近い土日)にとり行われるようになっている。
毎年これに合わせて、「三社祭川柳」の公募も行われている。
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