尾藤三笠は、前田雀郎系の川柳家。尾藤三柳の父、十六代川柳の祖父にあたる。
本名・尾藤治郎右衛門。明治38年(1905)7月23日、東京・神田須田町生れ。父は、江戸期よりつづく湯葉屋・駿河屋の3代目として治郎右衛門の名を継ぐ。
駿河屋は、幼年期に時代の流れの中で消滅、三河島駅前で茶屋、旅館業を営みながら地方公務員をする。
大正10年から「都新聞」などの短詩欄(川柳、どどいつ、笠付…)に投句をはじめる。壽美三(すみぞう)は、初期のペンンネーム。
同12年からは主として前田雀郎選の《都新聞》に投句。
大正14年、藤島茶六らと「すずめ」を興す。昭和10年、「柳友」(第一期)同人。18年1月、黎明吟社を創立したが、雑誌統合整理で翌年解散。20年柳友会(第二期)同人。きやり吟社客員。また、川柳人クラブ創立に参画。その間、自宅で連句の研究会を開催するなど、戦後復興期の東京川柳界に尽力。
朱雀洞文庫の初期資料は、三笠が収集したもの。句集に『三笠句集』(昭3)がある。
三笠は、折に触れ短冊を書いたが、筆を使う機会の多いお茶屋という家業ならでは滑らかさがある。
昭和30年5月30日、肺結核で没。享年49。東京・浅草の曹洞宗祝言寺に葬る(大徳院法光治覚居士)。
孫の尾藤一泉編で句文集『親ひとり子ひとり』(平13)がある。
見馴れない下駄に女房裏へ来る (昭3「三笠句集」)
子の育ち配給米へ母の知恵 (昭18「きやり」)
花へ来て花を忘れる貸しむしろ (昭20「柳友」)
買って来た刀で父は二度切られ
東京の子に面白い葱坊主
色づいたパイプ褒めれば拭いている
手が一つ取れて案山子に秋が来る
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尾藤 三笠
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【主な三笠史料】
・「川柳すずめ」
・「川柳きやり」 大正期、戦前
・「川柳柳友」 戦前
・「川柳黎明」 戦中
・前田雀郎染筆(2点)
・『川柳文金集』 新川柳勃興期の貴重資料
・「新聞川柳欄スクラップブック」 大正期
・川柳家関連写真類 大正期、戦前
・短冊作品
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