夕立や田をみめくりの神ならば  其角

 

 

    三囲神社社頭の寶井其角「夕立や」の句碑                向島・三囲神社


 温暖化のせいか東京でも激しい夕立が時おりありますが、元禄6年(1693)6月、この地を通りかかった其角に農民が雨乞いを願い出ます。長い日照りで、三囲神社で雨乞いの神事をしていたのですが、なかなか雨が降りません。入道姿の其角を偉い僧正と勘違いしたようです。
 困った其角は、経も読めないので一句をものし、社頭で三度、これを唱えます。

  夕立や田を三めぐりの神ならば

 が、・・・雨が降ってこないようです。「なーんだ、似非坊主か・・・」と、追い出されるようにその場を発ちました。ところが、翌日のこと。あれほど続いた晴天が俄かに掻き曇り雨が降り出しました。あわてて、農民は其角を次の宿場まで追いかけ、礼を述べるとともに昨日の非礼を詫びたそうです。
 其角は、折句として「ゆたか」の三文字を織り込んで詠んでいました。
 豊作への願いが折り込まれていたのです。
 今日でも三囲神社社頭の目立つ場所にこの句碑は残されています。
 
 江戸の川柳も、その伝説的雨乞いを伝えています。
  
  夕たちや十二字たすとふつてくる   柳多留21‐26

 「夕立や」の上五に「十二字足しただけ」と感じるのは、あとは、三囲神社をくっつけただけのように感じるからでしょう。

  三めくりの雨ハ小町を十四引      柳多留2‐19

 これも有名な小野小町の雨乞いの和歌「ことわりや日の本ならば照りもせめ さりとては又天が下とは」は、三十一文字で、俳句の十七音は「十四字」を引いたものであるという数遊び。初代川柳時代の句ではありますが、俗に言う「狂句臭」の作品でもあります。

  其角が無
とおたすけに出る所    柳多留24‐8

  「おたすけ」は、公儀による救済のことで「御救米」などが行われたようですが、ほんとうに其角がそこに居合わせなければ…、という見て来たような一句。

  にわか雨ふるまひ傘を三ツ井出し  柳多留23‐17

 三囲神社は、三井家の守護社。其の系列の三越デパートの屋上には、三囲神社が分祀されているのをご存知の方も多いでしょう。
 なんたって雨乞いにご利益のある神様を祀っている三井家だけに、越後屋への来客が、にわか雨に遭ってしまった際には「ふるまい傘」を提供するというサービス。現金掛け値なし…だけでない越後屋のスタイルは、こんなところから生まれていたようです。