「狂句」を知るために、まず古川柳の特性に付いて把握しておきましょう。
独立文芸としての川柳は、柳多留を契機として、最初の形体を完成していきました。前句−附句という問答の形態から、前句という問い(題)を切り離してしまうということは、一種の革命ともいえるでしょう。そのためには、前句に寄りかかり、前句の問いに対する答えとして発想されてきた附句の性格をあらため、附句そのものの中で、問答が完成されなければなりません。
呉陵軒可有のいう「一章に問答」−これが独立単句としての川柳が初めて獲得した文芸的特性でした。「一句にて句意のわかり安き」(初篇序)句とは、とりも直さず、一章に問答がある句ということになります。
例を挙げましょう。
母親ハもったいないがだましよい 〔初篇=宝暦13〕
という句は、「気を付にけにけり気を付にけにけり」という問い(前句)に対する答え(
附句)であると同時に、一章の中でも、
母親 (というもの) は 〔問〕
だましよい (もの) 〔答〕
という問答が完成されています。
また、
寝てとけは帯程長いものハなし 〔三篇=明和2〕
は、「首尾の能こと首尾の能こと」という前句に答えたものですが、附句それ自体の中で、も、
長いものは? 寝て解く帯
という独立した問答を成立させています。
この二句を見ただけでも、一章の中の問いと答えの間にはたらくアイロニーが、前句と附句の間にはたらくウィットに代わって、一句の独立した内容を構成していることがおわかりと思います。
「一章に問答」というのは、このように一句に葛藤を盛り込むことで、そのためには、問いに対する答えが日常的、常識的なものであってはいけません。その答えが、意表を衝くもの、唐突なもの、二律背反的なもの、矛盾を感しさせるものであればあるだけ、アイロニーは深まります。川柳の特性とされる穿ちの目と、ウィットの精神は、このアイロニーに奉仕するもので、ここに川柳独自の笑いが生まれてきます。
「かんざし」という、本来なら美しいとかやさしいとかのイメージにつながる対象を、あえて「恐ろしい」と捉える。この二律背反的な発想は、つぎのような形で一句となります。
かんざしもさか手に持テばおそろしい 〔二篇=明和元〕
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