宝寺門前


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 享保7(1722)年、柄井図書が初代名主となり門前が開かれるという。
 宝暦5(1755)年、柄井八右衛門(川柳)が3代目名主職を継ぐ。
 この頃、西から南へ鍵の手に曲がった片側町で、南北72間余、東西35間余。
                                         「御府内備考」

 近くに同名の浄土宗の龍寶寺(鯉寺で有名)があるため、天台龍宝寺門前と冠称をつけて呼ばれた。 

川柳墓所

川柳句碑

龍宝寺門前図