八世川柳

 

 

<活動>明明治19(1886)嗣号―明治25(1892)年10月1日没。

<号> 
柳袋/括嚢舎/化外老人/任風舎川柳

 
本名、大久保左金吾 のち 児玉環。文政2(1819)年、江戸生れ。
 士族。谷中清水町で漢学塾を営み、のち袋物業。五世門人。
 明治19年、一府三県の社中投票により八世を嗣号。任風舎川柳と号す。
 柳風狂句の黄金期を築き、毎春両国の中村楼で催される大会は寄句数万、開巻に2昼夜を徹するのが常であった。
 明治25年10月1日没。
 法名:川柳院徳法環翁居士。東京都・小日向の林泉寺に葬る。
 

 
 昭和3(1928) 年、無縁になっていたのを高木角恋坊により地蔵尊型墓碑を建立される。
 昭和59(1984) 4月23日、調査の際、林泉寺・江田和雄和尚より、十五世脇屋川柳氏 に「現在縁者なし。先代の頃、無縁塔に合祀か。参道に八 世の墓を見たことあり」という手紙があった。
 平成11(1998) Web川柳博物館立ち上げにあたり、尾藤一泉が各地調査の中で 林泉寺境内に「川柳八世之墓」を確認。
 「川柳八世之墓」「千体内」「東京青山 施主石勝」とあり。
 現在、延宝、元禄、享保の童子童女地蔵に混じ境内にあり。
 平成21年より、文京川柳会の手で供養が行われている。

<主著作> 
『柳風肖像 狂句百家仙』   任風舎川柳編 小林峻画 明治23.10  
                  変態百人一首 第45冊

 代表句