十一世川柳

 

<活動>明治42(1909)年5月5日嗣号―大正2(1913)年引退。

<号> 
開晴舎/昇旭/深翠亭

 
本名、小林 釜三郎。慶応元(1865)年、江戸生れ。
 根津、のちに深川・洲崎で酒商を営む。
 明治42(1909)年5月5日、十一世を嗣号。深翠亭川柳を名乗る。
 毎年、祖翁忌に初代川柳の画像とともに掲げられた初代直筆の回文の和歌懐紙は、明治17年ごろ柳袋から譲られたもので、柳風宗家什器(俗に三種の神器)のひとつとなった。
 大正2年、病気で引退、木聖と称す。
 大正6年5月16日(岡田三面子「川柳」では6月5日没)没。法名、知見院通達日源居士。東京都台東区・谷中坂町の本寿寺に葬る。

<主著作> 

 代表句

くれしらず    
春待つうちが    
人の花 十一世川柳