川柳のふるさとは江戸である |
川柳は、「浅草」で生まれ「上野」で文芸になった!
川柳は、「前句付(まえくづけ)」という娯楽的な文芸を母体として生まれました。5・7・5の発句(現在の俳句)に始まり、7・7の短句、また五七五の長句と交互によみ続けていくのが俳諧(連句)ですが、そのうちの一単位、つまり短歌の上の句(5・7・5)と下の句(7・7)を抜き出して、附け合うのが前句付です。たとえば、
という7・7の前句(短句)を題に、
という5・7・5の付句(つけく 長句)をつけて、両句のあいだにはたらくウイットやユーモアを競い合うというもので、江戸時代これが一種の懸賞文芸として、庶民の間にたいへん流行しました。この前句付の前句(まえく 題)を切り離して、「5・7・5」の一句立て形式にしたものが川柳ですが、その独立への橋渡しをしたのが、江戸の前句付点者(てんじゃ=選者)であった柄井川柳です。 |