三代 花屋久次郎
『誹風柳多留』89篇、菅子序。
(上田市立図書館・花月文庫蔵)
二代花久の子。文政元年、星運堂の家督を相続。 『誹風柳多留』72篇以降の編集にあたる。 菅子の号で作家活動。 派手な性格とおぼしく、四世川柳時代の大会を主催、作者としても活躍をみせるが、天保3年、124篇を刊行して突如離散。 三代70年で花屋は消滅する。 盗人は酒屋餅屋に借りが出来 (誹風柳多留32篇) おもしろさあぐらをかいて土手をかけ(誹風柳多留44篇)
花久忌
昭和57年2月11日から東京川柳人協会主催の初代・花屋久治郎の忌日法要。忌日は、西洋暦で3月17日であるが、協会では2月上旬の休日に開催。 現在、東京都足立区伊興町前沼1210に移転した、東岳寺で句会を開催、献句を納める法要が行われる。 2002年の花久忌では、川柳人協会によって初代、二代の位牌が作られ、川柳家による花久への感謝の念が示された。
東岳寺山門 花久碑