<活動>明治26(1893)4月嗣号―明治31(1898)年11月20日没。
<号> 臂張亭/〆太/正風亭川柳
本名、中村 萬吉。文政8(1825)年、江戸生れ。
麹町3丁目に住む紀州家御用の畳業。五世川柳門人。柳風会古参の判者。
明治25年10月、八世川柳が没すると柳風会は2派に分裂。後継を決する社中投票で前島和橋と争った結果、555対442票で敗れた。しかし、高番偏重主義を批判して対抗、麹町連などの支持で九世を称し正風亭川柳を名乗った。
後の川柳宗家の三種の神器のうち「初代川柳画像」を八世川柳の逝去1年前に譲られていたが、明治29年5月、これを培柳社(山形県・長井)の佐々木魚心に預け、以後、川崎家の個人蔵となっている。
明治31年11月20日没。法名:正風院高巌翠柳居士。東京和田堀・常仙寺(寅薬師)に葬る。 |