「時事川柳」というときの「時事」をどうとらえるか、をまず
考えてみます。
「時事」の「時」は現在、「事」は客観的事象を指し、「時事川柳」とは、眼前に生起するアクチュアルな事象を、ある限定された時間の中でとらえる句ということになりますが、では、「限定された時間」とは、どういうことでしょう。
下の表を見てください。
横は時間軸で、曲線は時間軸を推移する事象への一般的関心度を示します。
「限定された時間」というのは、対象に向けられる一般的な関心度がピーク
(P)にある時で、それより早すぎても遅すぎても、時事性は弱くなります。
衣服の流行などは、そのつど異なっ
たカーブで最盛期を迎えまた下降(風俗化、日常化)していきます。酒・タバコ、公共料金の値上げなどは、その改定の前のほうが関心が強く、上がってしまうと急激に惰性化してしまいますから、むしろピークは前倒しになり
ます。この「事」と「時」とが、曲線の高い部分で結合したものが「時事性」であり、結合させるのが
「時事意識」ということになります。
「時事」というときの「時」の幅は、だから決して広いもので
はなく、それにともなう「こと」への一般的関心も、そう永くは
ピークにとどまっていないということです。これが、前後どちら
にずれても「時事性」は薄弱となり、そのぶんインパクトも弱く
なります。
上の図に示したように、同じ時系列でも、曲線が下降をたどり水平に近づく過程と、水平に転じたものを、それぞれ「疑似時事句」「風俗句」と、私は呼び分けています。
この「時事川柳」と紛らわしい「疑似時事句」や「風俗句」が
時事吟として扱われている例はたいへん多いのですが、これは改
められなければならないでしょう。
ところで、これまで「関心度」と書いてきたのは、世間一般の
平均的な関心の度合いのことですが、本来は誰もが同じとは限り
ません。作者にも個々の「関心度」があるわけで、「時事川柳」
はいうまでもなく作者個人の関心度の産物ですが、これが客観性
をもって平均的関心度と重なり合ったとき、はじめて作者と読者
は、共鳴と連帯の握手を交わすことになります。
作者ひとりが時事性を強要しても、平均的関心度がそれを受け
入れなければ、作品としての「時事川柳」は成り立たず、単なる
独善とみなされることも、ままあります。これは、冗談などで笑
いを誘うのに似ています。タイミングのよい冗談は一斉に笑いを
引き起こしますが、「間」があとさきにずれると、同じことを言
っても、その効果がありません。
「時事性」というのも、つき詰めればタイミングをはずさない
ということです。
時事川柳における作者の態度
時事川柳 作句のための3要素
時事川柳の歴史
|