花屋久次郎 はなやきゅうじろう


誹風柳多留』奥付。東叡山下竹町の住所がよめる。

ビジュアル史料

 江戸・上野の山下にあった書肆。星運堂という。
 
誹風柳多留』の出版元。呉陵軒可有に同書の出版を勧め、川柳のさらなる発展の契機を作った。
 花屋久次郎(略して「花久」)は、三代にわたって川柳界に貢献し
誹風柳多留』124篇までの出版を行ったほか、川柳のスポンサー的役割も果たした。
 二代花久・
菅裏は、自身が川柳作家でもあり、多くの作品を残し、また柳多留の前書きも多く書いている。
 三代花久・
菅子も才気ある作家、経営者であったが、
  売り家と唐様で書く三代目
 の川柳を地でいくように、124篇を出版した星運堂は、突如離散してしまい歴史から消える。
 二代までの過去帳は、昭和16年6月、東京浅草・北松山町(当時)の南昌山東岳寺で発見され、同年10月の「関西川柳学会会報」に木村捨三が報告している。
 今日、川柳界では花屋久次郎の功績を偲んで足立区に移った
東岳寺で花久忌が毎年行われている。