狂句について

狂句について
狂句鑑賞?
柳風式法
句案十体

 川柳史上、「狂句の時代」と呼ばれる一時期があります。
 初代川柳評の古典期と明治の川柳復興期の中間に位置する約80年間で、川柳史のほぼ3分の1を占めています。
 古川柳と呼ばれる初代川柳評の文芸性が、その没後、しだいに空疎化してしまい、内容のない言語遊戯的閑文字に堕していった時代と言われ、その間の作品群を、古川柳と区別して「狂句」と呼んでいます。
 四代目川柳の時代、それまで名称のなかった川柳風一派の短詩に対し「俳風狂句」と名づけたことからその時代も「狂句」といわれることがありますが、初代川柳の時代にも言葉遊びの狂句的表現は存在しました。
 実際に真の言語遊戯に陥るのは、天保の改革により言論統制が厳しくなり、川柳の存亡も意識せざるを得なくなった五代川柳の時代でした。五代川柳は、幕府を畏れて選句、作句に対する指針「柳風式法」を定めました。
 その結果、目の前に生起する社会を描くことが難しくなり、コトバの面白さの追求や道徳的内容の作品へと変わってしまったのです。
 これは、名称をつけた四代川柳が悪いわけでなく、また、「柳風式法」を定めた五代川柳が悪いわけでもなく、時代の制約によって、川柳の存亡を切り抜けるための手段であり、時代の要請に従っただけで、作者にも疵があるとはいえないでしょう。
 おかげで、今日まで川柳という文化が継承されました。

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