川柳が最終的に「狂句」へ堕した道は、いつでも起こりうるマンネリズムから生じたものといえます。
しかし、はじめに「狂句」の語を当時の川柳家(当時川柳という文芸概念はなかったが、あえていう)が使ったとき、決して文芸としての堕落を意図したものでなく、その作句技法のマンネリズムが結果的に「堕落」を生む素地となったもので、初期の狂句作品には、今日から見てもよいものがあります。
ここでは、狂句の概要を歴史的に辿りながらみてみます。
狂句への道程
古川柳の特性
堕落への諸事情
狂句と呼ぶもの
明治狂句
明治狂句と団珍
狂句批判と「前句源流」
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