古くは、表徳(ひょうとく)ともいいました。
古川柳(川柳評万句合)の初期は、号というより匿名の符牒に似たもので、作者に関連ある一字の下に〈印〉をつけて「××じるし」と訓ませるもの(勝印、柳印、川印、斧印、鳥印、歌印など)が多かったようです。身分や出自を隠して、前句附という遊びをしたかったからです。
「川柳」は柄井八右衛門という選者の雅号(俳号)です。
現在では、社会生活を離れ、面倒な仕事や肩書きを外した世界の通称となっています。
柳風狂句から出発した前田雀郎の最初の号は春雅亭文丸(しゅんがていふみまる)でありこれは稼業の足袋商で使っていたシンガーミシンを踏むというところからの洒落でした。雀郎は本名を源一といいますが、ふざけた春雅亭文丸の雅号を棄て、居住地の「雀宮」にちなんだ〈雀郎〉に替え、川柳の大家となった人です。
現在では、俳号に対して柳号ともいわれることがありますが、一方、本名のままを作者名にすることが、特に女性作家などに増えています。
雅号をつける時の心がまえ
雅号は、川柳を楽しむための仮の名です。
しかし、本気で川柳を楽しもうとする時には、ふざけ半分な雅号を一度つけてしまうと、作家がしだいに社会に知られるようになった時、換えるに変えられない状況になることがあります。著名な作家になろうなどと最初から思わなくとも、自分の素顔の一部を雅号に入れておくこと、ダ・ヴィンチ コードのようなヒントを雅号に残しておくことが大切です。
下の図は、雅号のイメージです。
素顔のままの本名が、女性作家を中心に増えたことは申し上げました。本名を雅号にすることは、いっこうにかまいませんが、先輩の有名作家に同名の方がいる場合には、本名でも避ける場合はあります。
マスクは、顔の下半分だけを隠すもので、作者の素顔の一部が残ります。たとえば、由紀子さんという女性は、同名作家が多く存在します。そこで一部の音を残し「雪江(ゆき‐こう→ゆきえ)」とするなどはいい例です。また、絢爛なアイマスクのような雅号にしてもかまいません。たとえば「悠希琥(ゆきこ)」などは、文字面でみると仰々しいほどです。
ところが、最近の公募川柳でよく見かけられるようなペンネームというか、ハンドルネームというのか、一過性のおふざけ雅号はあまりいただけません。たとえば、「三浪」、「満点パパ」、「他人事」、「ピカチュー」などというのは、作者の片鱗もみせず、単なる記号です。仮面で素顔をすべて隠していることとおなじです。
また、作品の意味を補足するような雅号、たとえば、
まだ寝てる帰ってみればもう寝てる 遠くの我が家
この句は、<サラ川>の名句中の名句です。十七音の句だけで、十二分に句意が伝わり、本格的な川柳界の吟社川柳の作品にも決して劣らないものです。しかし、「遠くの我が家」などと、説明のような雅号をつけてしまったために、せっかくの名句にも「蛇足」のように思われてしまいがちです。
作者は、プライドをもって、自分の川柳作品に、素晴らしい雅号を添えてください。
そのことにより川柳は、ますます輝きを増すでしょう。
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