定型は、五・七・五(十七音節)ですが、この三句体を構成する一部(例えば、上五とか中七)に、多少とも音数の変化(字余り・字足らず)があっても、全体のバランスが極端に崩れない限り、定型感は保つことができます。
とくに、上五の音数が6音〜9音などに増えた場合でも、中七・下五がきちんとしている場合には、格調を失わないことがあります。これを「頭重脚軽」と呼んでいますが、例を挙げると、
キャッシュカードが掌にあり余る安楽死
7音 7音 5音
は、7・7・5の十九音という音節構成ですが、無理なく読み下せるでしょう。(「掌」は「て」と読みます)
このほか、上五・中七がそのままで、下五が6音あるいは7音に、また上五・下五がそのままで、中七が
8音(これは、とくに「中八」と呼ばれて、忌避されることがありますが)になるものなどがありますが、例句は省きます。とはいえ、最近「中八」の句が増えているようです。
これまでは、五・七・五のうちの一つだけが多音数になった字余りですが、二つ、もしくは全部が多音数になる場合でも、定型感をとどめ得ることもあります。
夜店の灯あか鬼あお鬼まずしい鬼
【5・8・6】
働き蜂の親もやっぱり働き蜂
【7・7・6】
それぞれ十九音、二十音ですが、全体のバランスがよく、定型に準じた安定感を感じさせます。
さて、字足らずですが、音数不足はあまりはなはだしいと定型感を失いますので、おのずから限界があります。ことに、中七が6音になったものは、いちじるしく句調を損ねますので、避けたほうがよいでしょう。
中七が減らせないとすれば、あとは上五、下五で一音か二音がせいぜいで、それ以外は自由律(破調)の非定型に属することになります。
何もありはしなかったいい手相
これは、3・8・5 とも 6・5・5 とも読める十六音(一音の字足らず)ですが、とくに
6・5・5 と三句体に読むときのバランスがよく、定型感は支えられています。
ここでは、非定型には触れません。
川柳の訴求力は、定型であってこそ、その効果を発揮するものです。特に時事川柳は個人の文芸というより、一般社会へ向かっての発言であるという意味からも、その手段としての句調を重視することが、何よりも存在意義を高めるものと確信じます。
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