川柳公論社の歴史

 昭和50年(1975)5月、尾藤三柳によって創設されたました。
 初期は、新しい川柳家の育成とにつとめ、川柳の基礎的体系化を記事としてきました。
 5周年大会前後のグループ勉強会、研究句会がベースとなり、多くの川柳家を輩出、その後の川柳公論の中心的存在となりました。
 「川柳公論」は、常に新しい川柳研究上の発見や、歴史の掘り起し、関連分野との比較研究などを通じて、川柳を文化として発信してきました。
 川柳フォーラム朱雀会発足により、より研究的内容を次の指導者レベルの川柳家に指導、正しい川柳の捉え方を徹底して追及しています。
 平成27年(2015)5月、〈柳多留250年〉の記念すべき節目に創刊40周年を迎え、川柳さくらぎの7周年と合同で「呉陵軒可有を偲ぶ川柳莚」を開催しました。
 平成28年(2016)10月19日、創立者の三柳の死去に伴い、「川柳さくらぎ」を主宰して新しい川柳家育成の役割を務めていた尾藤一泉が主宰に就任。三柳の遺志を継いで、文化としての川柳発信とともに、社会に生きた文芸としての川柳のために「川柳公論」、「川柳さくらぎ」を統合し、顧問の十五世川柳の命名により「川柳はいふう」を創刊しました。
 「川柳はいふう」は、尾藤三柳が常に大切にしてきた呉陵軒可有師が編集した『誹風柳多留』から取られた言葉で、常に川柳の原点を忘れず新しい川柳の展開を目ざす志を標榜しています。
 朱雀会は、誹風会と改称、川柳の在り方を研究的に追及する会として継承されています。